5-73 20221225 豊橋教室と「幻の昭和70年代」

こんにちは。豊橋教室長の久野です。


カオステッィク・クリスマス会から一夜明け、えー、無事寝坊しました…

久々に深酒を刺してしまい、しんどくて起き上がれませんでした…

午前中来ていただいた中島講師、大変申し訳ない!!!💦

また来年お会いしましょう(;´・ω・)


あと我ながら、クリスマス会のブログ、あれなんですのん…笑

吐いた唾は吞めぬ、の言葉通りわざわざ消しませんが、だいぶテンションがおかしかったのが見え見えで恥ずかしいです笑


25日は年内最後の教室でした。生徒4名、講師5名での開講です。

パーティの余韻か、みんな若干テンションが高いです笑

おしゃべりがポロポロこぼれます。手が動いてればまあ良し笑


さてタイトル。年末ですので、すこし長文を書きたいと思います。


私は「郷土こそが私たちの祖国である」という強い信念を抱いています。

「国民」「民族」といった抽象的な概念でなく、自分たちが現実の世界として、直接接しながら育ってきた「郷土」こそが、私たちの祖国概念を形成する、最も根本的な単位だと信じています。


私が地元・豊橋で教室を立ち上げようと思った原体験のひとつ、保育園の頃まで営業されていた老夫婦の和菓子屋さんの話は以前書きましたが、今日はもう一つ小話を…

私が小学生の頃、私の住んでいる町内では「自警団」という団体が立ち上がり、週2~3回くらいのペースで夜の見回りをしていました。

団長は、Nさんという40代の大親分。色黒、金髪短髪パーマ、金のネックレス、ヘビースモーカー、酒好き、ダミ声関西弁の、めっちゃくちゃ怖いけどユーモラスな方でした。笑

少年野球のコーチもされており、スパルタながら子どもたちに慕われていた方です。


自警団は、地域の集会場を組事務所詰所にして、大人たちが集まってお酒を飲みながら地域のパトロールをします。拍子木をならしながら近所を歩く音は私の家にも聞こえてきて、子どもながらに大人たちが見守ってくれているのを感じました。

(うちの父も参加していました。自警団は高度な組織化が施されており、父は確か「参謀長」という役職に補されてましたが、本人は「謀(はかりごと)」の字面がなんとなく好かん…と嘆いていました笑)


で、この大親分のNさんを筆頭に集まるメンバーの、クセの強いこと強いこと…

自警団は完全な自発的組織でしたから、集まるメンバーは場に馴染む方々ばかりです。当たり前ですね。

しかしその分、何かをするときのパワフルさはとんでもなく、地域の祭りや体育祭等では一致団結して全力勝負!終わったら狭い集会場に50人以上が夜まで詰めて大宴会!wow('ω')

私たち地域の子どもたちも、その日だけは親公認で夜までどんちゃん遊べましたから、そういう行事ごとを心底楽しみにしていました。


また、私の地域は日系外国人の方が多い地域でもありました。仲良く暮らしていた面もありましたが、言葉や文化の壁があったのも確かです。

あるとき、Nさん率いる自警団の山賊団員が、「地域のために異文化交流会をやる!」と言ってバーッと準備し、お手製の祭りを作り上げました。

自警団のメンバーが集会場や仮設テントを利用していろんな出店を出し、日系外国人の方からも出店してもらっていました。

謎のイベントだったにも関わらず、地域のかなりの人数が来ていました。

最後は豪華景品を賭けたビンゴ大会!…でしたが、人が集まりすぎて出た数字がなかなかうまく全体に伝わらず、続々売れていく景品を見て最後は怒号が飛び交っていたのを覚えています。笑


終わった後は、自警団メンバーで恒例の大宴会!!!!!私も偉大なる参謀長・父のおこぼれに預かり宴会に参加しました。同年代の子どもたちもワイワイ集まっていました。心底楽しかったなあ…


そんな自警団も、私が高校生に上がる頃にはだんだんと下火になっていきました。

主要メンバーの引越し、子どもたちの巣立ち、高齢化、町内会予算の使途に関する管理の厳格化など?詳しくは知りませんがおそらくいろんな要因があったと思います。

また度重なる活動は、当の大人たちにとっても、その奥様方にとっても、実は結構負担になっている部分があったんだろうなあと今ならわかりますが、とにかく自警団の縮小化といっしょに、地域の一体感というか、そういう雑多であたたかいものが自然に消滅してしまったように感じました。


私は平成5年生まれ、小学校の頃は平成10年代になるわけですが、前述の和菓子屋さんの話といい、自警団の話といい、私が地元豊橋で経験してきたものはまるで映画の「Always 三丁目の夕日」のような、粗削りで雑多だけども暖かさがある、「幻の昭和70年代」だったのでは、と思うのです。

昭和というとネガティブな文脈で引かれることもあるように感じますが、私の目線からすると、あの雑多で危険で楽しかった時代の雰囲気…私が「幻の昭和70年代」と認識していたものは、いい部分、子供たちに残してあげておくべき部分も絶対に多かったと思っています。


クリスマス会といい合宿といい、豊橋教室の生徒さんたちには「自主的な策動」を奨励しています。

自分たちのやりたいことをワーワー言いながら調整し、我々大人たちにどう話を持っていったら実現できるのか、企みを膨らませよう、という意味です。

今回のクリスマス会は、まさしく生徒さんたちの自主性による「策動」の最たるもので、この社会、とりわけ子供たちにとってはこの「策動」の余地、何かを子供たちだけで企んで、実現する余白が絶対に必要だと思います。

我々大人たちは、そういう子供たちの企みを内心察知してニヤニヤしつつ、できるだけ好きなようにやらせてあげる、そのために最低限の安全とリソースは先回りしてそれとなく確保しておいてあげる、この度量が必要ですよね。

かくいう私も小さい頃はかなりの「策動」家でしたから、今度は子供たちに同じ楽しみを渡してあげる番です。

利益を自分の手元に留め置いて、若い子に渡さない奴は、私は好きじゃないのでね。


豊橋教室は、子供たちにとって「策動」の余地、世間を渡っていくための予科練になれればいいな、と思っています。いっぱい勉強して、いっぱい悪だくみをしましょう。


と、いうわけで、来年も豊橋教室を宜しくお願いします。

よいお年を!受験生軍団ちゃんと勉強せえよ!笑


豊橋教室長 久野

NPO法人 東海つばめ学習会(無料塾)

東海地方で教育機会に恵まれない子どもたちへ学習支援を行っています。